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今だからこそ観たい連続猟奇殺人サイコ映画

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 秋葉原、相模原、座間。この三つの地名に共通するのは、いずれも大量殺人事件が起きたという事実であり、主にインターネットの掲示板においてこの殺人犯を支持する層が一定数存在したという事実だ。
 歴史上、いわゆる”シリアルキラー”と呼ばれた殺人鬼は数多く存在する。しかしながら、彼らの行いに対して、匿名であるとはいえ、理解を示すことをインターネット上で発言することが当たり前のようになっているこの社会というものがいかに狂っているのか、僕たちは気づいていない。
 『SE7EN』。監督、デヴィッド・フィッチャー。主演、ブラッド・ピットモーガン・フリーマン。1995年に公開されたこの作品は、今の日本社会に対して大きな示唆を与えてくれる。
 この作品のタイトルでもある”7”という数字。これは、ある”都会”の新人刑事ミルズ(ブラッド・ピット)とベテラン刑事サマセット(モーガン・フリーマン)の捜査する連続猟奇殺人犯ジョン・ドゥ(ケヴィン・スペイシー)が「七つの大罪」をモチーフに殺人を犯していることに由来しており、サマセットが「7日後」に退職を控えていたり、「7:00」が重要な場面で用いられていたりと、作中意図的に用いられる。だが、実はこの「7」という数字は単なる装飾に過ぎない。
 この作品における重要な視点は、「ミルズ」対「サマセットとジョン・ドゥ」という構図なのである。
 雨や市民達により誇張されすぎるほど汚く演出された”都会”は、新たに赴任してきたミルズにとって異常以外の何物でもない。だが、そんな”都会”で長年刑事だったサマセットはこの街がどのような街であるかを過去の経験から痛いほどよく知っていた。だからこそ、ジョン・ドゥような猟奇殺人犯を完全に否定することができない。サマセットとジョン・ドゥは、どちらも”都会”の空気に侵された人間なのだ。
 これらを冒頭のような今の日本社会に当てはめて考えてみると、ミルズは「僕たち」であり、ジョン・ドゥは「殺人犯」であり、サマセットは「インターネット上で殺人犯を擁護する人間」である。この作品の舞台である”都会”は、まさに僕たちの生活する社会を暗示しているではないか。
 すると、作品のラストにおける、印象的なミルズによるジョン・ドゥ射殺は、”ミルズがジョン・ドゥに敗北した”と考えるのではなく、”都会という狂気に対する理性の勝利”と考えるのが正しい理解なのではないかとさえ思える。衝撃的なバッドエンドなのではなく、実は未来への希望に満ち溢れたハッピーエンドだったのだ。「僕たち」は”都会”に対して抵抗することができるということを監督はこの作品において表現したかったのだろう。
 終わり方が終わり方なので、ミルズがこのまま刑事を続けたのかどうかは不明だが、腐敗したゴッサムシティで犯罪者相手に戦うブルース・ウェインのように、”都会”に立ち向かっていることを願おう。