100本映画

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ヴィットリオ・デ・シーカ(1948)「自転車泥棒」

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 イタリアのネオレアリズモを代表するデ・シーカ監督の一作。この映画、幸福な映画ではないですし、主人公が善人であるというわけでもないんですが、だからといって決して不幸な映画でもない深く考えさせられる映画でした。

 簡単なあらすじを書いておくと、家族を養うために必要な自転車を盗まれてしまった主人公。街中を探すが結局見つからず、追い詰められた彼は自分が自転車泥棒に手を染めてしまう。彼は結局捕まってしまうが、自転車の所有者の慈悲により訴えられずに済むというもの。あらすじだけ読むと、哀しい男の話という風に感じてしまうんですけども、ここで重要な点は最後に主人公の罪が赦されるという点にあると思います。そもそもネオレアリズモというのはファシズムに対抗する文化的抵抗の流れです。ファシズムというのはつまり全体主義。国民の権利が国家によって制限される国家のあり方です。この映画では、主人公は自転車泥棒を必死に探すわけですが、町中の人々が自転車泥棒を匿うので、なかなか追い詰めることができない。ここにおいて、「町の人々」は国益のためなら犯罪をも認めるファシズム国家を暗示していると考えられますし、そもそもイタリアをここまで貧しい国にしたファシズム政権に対する批判も含まれているとも考えられます。ですが、「町の人々」は最後まで悪の象徴かというとそうではないんです。気の迷いから自転車を盗んでしまった主人公は、「町の人々」に羽交い締めにされてしまいます。その父親を見てしまった息子は、父親を助けるために「町の人々」に向かっていきます。父親である主人公と息子とをつなぐ「愛」を感じた「町の人々」は主人公を赦します。ファシズム敗北の瞬間と解釈することもできるでしょう。リアリズム、現実主義というとどうしてもテーマが暗い映画になってしまいがちです。この映画も、表面的に解釈すればただの哀しい現実主義的映画ですが、深く考えてみると「親と子の愛」や、「イタリア人はどうあるべきか」ということを問うた映画であるとも考えられるんじゃないでしょうか。

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 蛇足ですが、ブルーノ(息子)めちゃくちゃ可愛いかったですね。ブルーノだけでも観る価値あると思いますよ。